網走湖コロニー
大空町(旧女満別町)呼人の網走湖東岸にある。コロニーがあるのは、JR石北本線と湖畔沿いの砂利道との間にある幅約200mの広葉樹林である。線路のさらに東は、高さ約15mの広葉樹の斜面となり、その先には畑が広がっている。コロニーの南北には広葉樹の林が続く。コロニーのある林は、東西で50cmほどの段差があり、湿地と乾燥した区域に分かれている。このうち西側は湿地でハンノキとヤチダモが優占し、東側はハルニレとヤチダモが優占する。
2002年12月24日から29日にかけて行った調査では、ハルニレ83本、ヤチダモ78本、ハンノキ20本、イタヤカエデ12本、カツラ9本、ミズナラ6本、シナノキ4本、キタコブシ4本、ミズキ2本、ハリギリ1本、不明種5本の10種224本に、合計1,314巣を確認した。コロニー内の低木にはエゾニワトコが多く、ハシドイ、ツリバナなども見られた。林床の草本には、フッキソウ、トクサ、ミズバショウ、オオウバユリ、エゾイラクサ、ササなどが見られた。営巣面積は約53,300m2であった。
また、1993年11月19日から21日にかけて行った調査では、232本の営巣木に1,739巣を確認している。さらに、1990年5月6日に松田あおい氏が行った調査では、208本の営巣木に使用巣349、古巣1,017を確認している。1990年当時の営巣面積は約50,000m2である。
女満別町鳥獣保護員の大西重利氏の報告によると、このコロニーは1947年に発見され、当時の営巣数は60から80巣だったという(大西 1976)。また、大西氏らが行った調査では、1972年4月に213巣、1973年5月13日に230巣(営巣木55本)、1974年4月24日に268巣(77本)、1975年3月17日から6月1日の調査で341巣(106本)を確認している。なお、1947年の発見当時の営巣場所は南北に100mほど離れて二ヶ所に分散していたが、1961年には北の営巣場所はなくなっていたという。1972年の調査時には南の営巣場所はさらに南へと拡大しており、1974年には再び約100m北に新たな営巣場所ができている。このうち北の営巣場所は1990年にも利用されていたが、南の営巣場所は古巣は残っているものの営巣には利用されていない。また、2002年には南の営巣場所に巣は無く、北の営巣場所のみ利用されていた。なお、2002年のコロニーの範囲は、1974年当時の北の営巣地に比べて大きく北へ拡大している。
2002年の調査ではコロニーの内部にゴイサギのコロニーを確認した。場所はコロニー中央のギャップになって低木が密生している辺りである。ゴイサギがつくったと思われる巣は、ハシドイ7本、イタヤカエデ3本、ツリバナ2本、キタコブシ1本、ヤチダモ1本、エゾニワトコ1本、不明種1本に、計26巣あった。なお、これらの巣はアオサギと同じ営巣木につくられている場合もあったが、ほとんどはアオサギの営巣木よりもかなり低い樹高の木につくられていた。ゴイサギについては、北見市の小野勝弘氏が林縁から観察を行い、1999年に3巣、2000年に4巣、2001年に3巣(いずれも営巣中)を確認しているが、林縁からの観察では死角になる部分も多く、営巣数は過小評価されているものと思われる。
また、このコロニーの周辺では少なくとも1952年頃からオジロワシが営巣しており、2002年もコロニーの近くで営巣が確認されている。大西氏によると、かつてコロニーの東方約500mのところにオジロワシが営巣しており、この巣の下にはアオサギの羽がよく見られたという。このオジロワシは1952年頃から1958年頃にかけて営巣していたそうであるが、少なくとも当時のオジロワシがアオサギを捕食したことはほぼ間違いないと思われる。ただし、現在、コロニーの近くで営巣するオジロワシがアオサギに対してどのような影響を与えているかについては不明である。
なお、コロニーのある場所は網走国定公園内にあり、1972年にはコロニーの林床に広がる湿性植物群落が天然記念物に指定されている。また、このコロニーの上空は女満別空港への航空路になっており、民間の航空機がコロニー付近を数百mの低空で飛行している。
参考文献
大西重利 1976 網走湖畔、女満別町のアオサギ営巣地について 鳥獣行政 11(3,4) : 5-10 鳥獣行政研究会
【追記(2011年10月30日)】2009年春にコロニーに隣接する高台からコロニーを見下ろしたところ、413つがいの営巣を確認した。陰になって見えていないのも考慮すると、全体では450~500巣程度になると推定される。