火散布・藻散布コロニー
浜中町散布村、および厚岸町登喜岱に合計4ヶ所のコロニーがあったが、現在はいずれも消滅している可能性が高い。これらはいずれも藻散布沼ないし火散布沼を囲む丘陵の斜面にあった。丘陵の植生は針広混交林である。
このうち火散布沼の南岸のコロニーは最も最近まで営巣が確認されていた。このコロニーがあったのは丸山散布の集落の入り口付近の山の北斜面である。斜面のすぐ下には民家が点在し、民家を隔てて沼までは約300mである。地元の人によると、このコロニーでは1990年代の末頃に数巣を確認したというが、その後の情報は無い。2002年7月27日と12月23日にコロニーがあったと言われる斜面に巣を探したが、見つからなかったのですでに放棄された可能性は高いと思われる。
この火散布のコロニーよりも前に確認されていたのが藻散布沼南岸のコロニーで、火散布のコロニーの南約1.3kmのところに位置していた。このコロニーは沼に面する斜面にあったが、1998年以降の道道の付け替え工事によって斜面の様相は一変している。浜中町藻散布の長谷川夫妻によると、工事の前頃まではコロニーがあったという。また、当時、少なくとも1本の広葉樹に複数の巣を確認したということである。このコロニーは1980年代にはすでに見られたそうで、ピーク時には30巣くらいあったのではないかという。なお、コロニーの消滅が工事によるものか、それ以前に放棄されていたのかについては不明である。放棄後のアオサギについては火散布のコロニーに移った可能性が高い。
藻散布沼周辺にはこの他に2ヶ所のコロニーが過去に確認されている。そのうちのひとつは、藻散布南岸のコロニーから西へおよそ1kmの藻散布沼西岸付近にあったが、正確な位置は不明である。浜中町の広瀬氏によると、かつてこのコロニーに100羽近いアオサギを目撃し繁殖も確認したが、1990年から1992年までの間に急にいなくなったという。また、このコロニーから1.3km南東にはもうひとつ別のコロニーがあった。コロニーの場所は林道のコマドリの沢線で浜中町から厚岸町へ入って数百mの地点とされるが、このコロニーについても正確な位置は不明である。同氏によれば、この場所では1992年以前に少なくともふた桁の数のアオサギを目撃し巣も確認したという。2002年7月27日にこのコロニーがあったと言われる辺りを探索したが、巣およびアオサギの姿は確認できず、コロニーはすでに消滅した可能性が高いと思われる。
なお、火散布のコロニーと厚岸町のコロニーについては、繁殖期がほぼ終わった段階で調査を行ったため巣を見落としている可能性もあり、本当に消滅しているかどうかは分からない。ただし、ふたつの沼には現在も多くのアオサギが見られることから、これらのコロニーないし別の場所で営巣を続けている可能性は十分にあると思われる。また、藻散布沼の入り口付近は冬期でも結氷しないという。火散布沼についても昔は完全結氷していたが、海と沼をつなぐ水路が造られた結果、海に近い部分は結氷しなくなったという。なお、この地域では越冬個体も見かけられるらしい。地元のお年寄りによれば、アオサギは子供の頃からいるということである。したがって、この地域には遅くとも1930年代か1940年代にはアオサギが生息していたのであろう。この地域では「天気が悪くなるとアオサギが沼に来る」という言い伝えがある。