若美町コロニー
夕張市南部若美町の西のはずれに位置する。コロニーがあるのは民家の裏山の南東に面した斜面で、植生は針広混交林である。民家と裏山の間には巾20mほどの凹地があり、ここを巾1.5mほどの小川が流れている。コロニーのある斜面は小さな沢が何本も入っており地形は複雑である。
2003年11月15日に行った調査では、ミズナラ13本、イタヤカエデ5本、ケヤマハンノキ4本、シナノキ3本、アズキナシ2本、カツラ1本、ハリギリ1本の7種29本に、計68巣を確認した。ただし、この年は4月末にほとんどのアオサギが営巣を放棄し、その後も留まったのは民家の近くで営巣していた3つがいのみであった。コロニー内の高木には営巣木以外に、トドマツ、エゾマツ、ホオノキ、キタコブシなどが見られた。樹冠に達している木で枯れ木は見られなかった。低木にはイチイが多く、他に中低木としてシナやサワシバなどが見られた。斜面の林床は小川の近くや急斜面を除きほとんどクマイザサで覆われており、ササ以外ではフッキソウ、オククルマムグラ、オオウバユリ、ジュウモンジシダなどが多少見られる程度であった。営巣面積は約5,200m2であった。
夕張市南部若美町の石郷岡明氏によると、このコロニーができたのは1996年で、当時は100羽くらいで営巣を始めたという。この年には南西約2.5kmのところにあった遠幌コロニーが放棄されていることから、遠幌のアオサギが移動してきたことはほぼ間違いないと思われる。なお、夕張市南部遠幌町の池田氏によると、遠幌コロニーは1994年と1995年にヒグマに襲われたということで、そのことが放棄の原因であると見なされている。また、この結果、1995年に遠幌コロニーから10巣ほどが若美町へ移動したらしいということであるが詳細は不明である。石郷岡氏によると、当コロニーは2002年には100巣をはるかに超える規模だったが、2003年4月末頃に営巣の途中で放棄されたということである。なお同年3月には、4、5つがいが当コロニーから約200m南東の林に巣をつくっていたが、林に隣接する事務所の人に爆竹で追い払われたため、元の営巣場所に戻って巣作りをしていたという。当コロニーがそれまでとは異なる場所に営巣しようとした原因や最終的に放棄された原因については不明であるが、遠幌コロニーと場所が近いことを考慮すると、ヒグマを警戒して移動した可能性は十分にあると思われる。また、2003年に民家近くに3つがいが留まったことについては、人家に近いことや庭で飼われている犬がヒグマ除けになった可能性も考えられる。なお、2003年には約9km西方の鹿の谷で新たにコロニーがつくられていることから、若美町のコロニーを放棄したアオサギは鹿の谷に移動した可能性は高いと思われる。石郷岡氏によると、当コロニーは2004年も引き続き利用されているが、営巣しているのは10羽ていどだという。なお、当コロニーでは毎年3月13日から15日頃に5羽程度のアオサギが最初に飛来し、数日後に大きな群れが飛来していたそうである。